力道山とは? わかりやすく解説

力道山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 15:42 UTC 版)

力道山(りきどうざん、本名:百田 光浩(ももた みつひろ)、出生名:金 信洛(きん しんらく、: 김신락)、1924年大正13年〉11月14日 - 1963年昭和38年〉12月15日)は、日本男性プロレスラー力士血液型AB型。日本統治下の朝鮮咸鏡南道洪原郡出身。 


注釈

  1. ^ 1940年(昭和15年)、朝鮮の六坮という明太の漁場の村で朝鮮相撲(シルム)の大会に出場していた金光浩(김광호(きん・こうこう、キム・グァンホ、Gim Gwangho / Kim Kwangho)、日本名:金村光浩)を、当地で刑事補をしていた長崎県大村市出身の小方寅一と相撲好きの百田已之助(二所ノ関部屋の後援幹事、小方寅一の母親の再婚相手)がその体格と相撲素質に見惚れ、東京の二所ノ関部屋へ知らせた。二所ノ関親方・玉ノ海梅吉が朝鮮に渡って入門交渉をしたが、母親が反対し、急いで嫁を探して結婚式を挙げさせた。そして1942年(昭和17年)2月に入門した。 親方の玉の海は、「国技の力士が(植民地の)朝鮮出身じゃまずかろう」と諭し、現在の本名・百田光浩、長崎県大村町(現・大村市)出身という手筈が整えられた(金一勉『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』)。ただし、後述のように1940年5月場所に初土俵、1941年には1月場所に序ノ口で、5月場所には序二段に昇進してそれぞれ出場しているので、この本の年月の記述はあやふやである。なお、『朝鮮』出身を明示した力士として、1944年11月場所に十両に昇進した智異ノ山正一郎がいる。
  2. ^ 最後の出場場所となった25年5月場所は西関脇で、鏡里は東関脇、栃錦は東小結、吉葉山は東前頭筆頭。彼らとの幕内での対戦成績は鏡里に2勝1敗、栃錦に2勝2敗、吉葉山に3勝4敗だった。
  3. ^ 具体的には、戦後期の混乱により相撲人全体が資金難に見舞われて、力道山も莫大な借金を背負うことを余儀なくされた中で、経済的な理由から相撲を見切ったという。二所ノ関は慰留に努めたものの「大関昇進を果たした場合にいくら祝儀を受けることができるか」という力道山の質問に答えられず、これが廃業の決め手となったという。
    石井代蔵『巨人の素顔〜双葉山と力道山〜』(講談社
  4. ^ 朝鮮戦争勃発直後、日本へ帰化し、東京都中央区へ戸籍を移籍させ、百田已之助の長男に偽造した(金一勉『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』)
  5. ^ 後に大劇場明治座の会長になり、長らく務める 出典:猪野健治『興行界の顔役』
  6. ^ 木村のみならず、格闘界の頂点を極めた者がプロレスに適応できない事態は後のヘーシンク輪島等でも露呈している。
  7. ^ 金銭的に窮地に陥った背景には団体の失敗だけでなく、木村の妻の病気療養もあったとされる。
  8. ^ NHK福岡の取材に応じた木村の証言に「最初の試合は引き分けで、次回からは順に勝敗を決めるという話だった。」としたものがある
  9. ^ この時、猪木を高砂に紹介したうえで、猪木の力士への一時転向(レンタル)を打診していたとされる。
  10. ^ 2023年現在の医学水準をもってしても外傷性の腹膜炎が1週間で「ほぼ完治」することは、力道山の超人的な回復力があったとしても考えにくい。そもそも、飲食が制限されていた状況というのは「ほぼ完治」からはほど遠い状況である。
  11. ^ 当時の1万円は大卒公務員の一か月の給与に相当した。「国家公務員の初任給の変遷」『人事院』
  12. ^ 力道山がプロレスラーとして活躍していた1950年代当時の日本では、暴対法のような暴力団に毅然とした態度で臨むような法整備も不十分であった。また太平洋戦争終結からまだ10年程度しか経過していないため、戦後の混乱に乗じて暴力団が日本の表社会にも浸透し、その影響力を表社会にも堂々と行使できた世情でもあった。
  13. ^ いわゆる性風俗業の「トルコ風呂」(現在のソープランド)とは形態が異なり、トルコ風の本格スチームバスであったとされる。

出典

  1. ^ “力道山生誕99年…日本中が愛した「戦後最大のヒーロー」を北朝鮮が「民族の英雄」と最高評価している理由”. 現代ビジネス. (2023年11月12日). https://gendai.media/articles/-/119088 2023年11月16日閲覧。 
  2. ^ “松田優作、力道山…日本の芸能・スポーツ界を支える「在日」が出自を隠す理由と苦悩”. 現代ビジネス. (2016年5月3日). https://gendai.media/articles/-/48555 2023年11月16日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)44ページから45ページ
  4. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p21
  5. ^ 増田俊也木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」より。
  6. ^ a b c “百田光雄、父・力道山の秘話を披露、急死した時の相続税は「20何億だった」”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2017年3月3日). https://hochi.news/articles/20180303-OHT1T50119.html 2018年3月6日閲覧。 
  7. ^ オーヴィル・ブラウンの自動車事故の同乗者
  8. ^ 『興行師』青江徹(知性社)1953年、p.90
  9. ^ 「報知新聞」、「スポーツニッポン」12月23日付
  10. ^ 『力道山の真実』大下英治(祥伝社文庫)2004年、p.262
  11. ^ a b 金一勉『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』
  12. ^ 「4の字固め」は本当に痛かった”. 産経ニュース (2019年3月8日). 2022年7月25日閲覧。
  13. ^ 『力道山がいた』松村友視朝日新聞社)2000年、p.252-3 ISBN 4-02-257483-6
  14. ^ 대한뉴스 제 451호-역도산은 가다 - YouTube - KTV 대한늬우스(韓国語)
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m ベースボール・マガジン社『日本プロレス事件史』Vol.3 P4-P15より。
  16. ^ a b 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』P44-P45より。
  17. ^ 大下英治、2004、『力道山の真実』、祥伝社〈祥伝社文庫〉 ISBN 4396331967 ASIN 4396331967 参照 刺殺事件の顛末を加害者からの直接取材している。
  18. ^ a b c 大下英治、2004、『力道山の真実』、祥伝社〈祥伝社文庫〉 ISBN 4396331967 ASIN 4396331967 参照
  19. ^ a b 大下英治、2004、『力道山の真実』、祥伝社〈祥伝社文庫〉 ISBN 4396331967 ASIN 4396331967 参照
  20. ^ 百田光雄 2003年 父・力道山 第1章8ページ 小学館文庫 参照
  21. ^ 梶原一騎プロレススーパースター列伝』のジャイアント馬場&アントニオ猪木編はその説を採用している。
  22. ^ 父・力道山の死から51年…百田光雄<1>
  23. ^ 産経新聞【話の肖像画】力道山の真実(上)力道山の妻、田中敬子
  24. ^ 二宮清純「戦後の英雄・力道山はなぜ死んだのか!?」(二宮 清純) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2023年5月6日閲覧。
  25. ^ a b 土肥修司、1993、『麻酔と蘇生 高度医療時代の患者サーヴィス』、中央公論社〈中公新書〉 ISBN 9784121011220 ASIN 4121011228第二章 麻酔の基本と種類 気管内挿管と力道山の死 を参照
  26. ^ a b c d 宮坂, 勝之 (2019-09-01), 半世紀前の事件をたどる 力道山の死因は,本当に麻酔事故だったか!?, 株式会社医学書院, doi:10.11477/mf.3101201456, https://doi.org/10.11477/mf.3101201456 2023年5月6日閲覧。 
  27. ^ 竹内宏介『プロレス醜聞100連発!!』(日本スポーツ出版社・1998年)p.26 - 27 ISBN 978-4-930943-10-1
  28. ^ 吉田豪『男気万字固め』エンターブレイン、2001年、p.117-118
  29. ^ 剱持松二四段(当時)と力道山アマ三段 将棋ペンクラブログ
  30. ^ プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、P82、2015年、産経新聞出版
  31. ^ 新潮文庫1984年刊、137頁
  32. ^ 「力道山を取調べ」『日本経済新聞』昭和25年6月14日3面
  33. ^ 肺がん告知の力道山の次男、百田光雄が退院「カウント2・99から逆転」”. 日刊スポーツ (2021年5月10日). 2021年5月10日閲覧。
  34. ^ 往年の名レスラー力道山の孫に当たる百田力が…:力道山の孫、デビュー”. 時事ドットコム (2013年12月16日). 2020年11月8日閲覧。
  35. ^ a b c 剱持松二四段(当時)と力道山アマ三段 - 将棋ペンクラブログ・2013年5月7日
  36. ^ 知っていれば楽しさ倍増!日本のプロレスの歴史を簡単チェック”. 【SPAIA】スパイア (2016年12月16日). 2020年11月15日閲覧。
  37. ^ 「おい、アゴを呼べ」付け人時代懐かしむ力道山夫人”. 日刊スポーツ (2018年12月15日). 2022年8月30日閲覧。
  38. ^ a b c 力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画 - Sportiva・2020年7月31日
  39. ^ 今、死と向き合う猪木/力道山没後55年インタビュー”. 日刊スポーツ (2018年12月15日). 2022年8月24日閲覧。
  40. ^ 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』(ダイアプレス、2016年)p14
  41. ^ a b National Wrestling Alliance Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2017年4月1日閲覧。
  42. ^ a b Congratulations to the 2017 WWE Hall of Fame Legacy inductees”. WWE.com. 2017年4月1日閲覧。
  43. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p69-70
  44. ^ 力道山と肉の庄治郎商店 - 肉の庄冶郎商店
  45. ^ WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2017年4月1日閲覧。
  46. ^ 難波功士. “関西CM史を振り返る。―広告史研究の現状と課題 テレビCM60年特集” (PDF). 日本広告学会 関西部会. 2018年10月26日閲覧。


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