創建の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:39 UTC 版)
山田寺の創建については『上宮聖徳法王帝説』裏書に詳しく書かれており、山田寺について語る際には必ずと言ってよいほどこの史料が引用される。同裏書によれば、舒明天皇13年(641年)に「浄土寺(山田寺)の造営を誓願」し「始平地」とあり、この年に整地工事を始めて、2年後の皇極天皇2年(643年)には金堂の建立が始まる。大化4年(648年)には「始僧住」(僧が住み始める)とあることから、この頃には伽藍全体の整備は未完成であったが、一応寺院としての体裁は整っていたと見られ、発掘調査によれば金堂とそれを囲う回廊と中門、さらに南側には掘立柱で棟門形式の南門があったと考えられる。 大化5年(649年)には上述の石川麻呂自害事件があり、山田寺の造営は一時中断する。
※この「創建の経緯」の解説は、「山田寺」の解説の一部です。
「創建の経緯」を含む「山田寺」の記事については、「山田寺」の概要を参照ください。
- 創建の経緯のページへのリンク