副首相・副党首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:30 UTC 版)
「フランク=ヴァルター・シュタインマイアー」の記事における「副首相・副党首」の解説
2007年10月のSPD党大会でシュタインマイアーはSPDの連邦レベルでの副党首に選出された。2007年11月に同じSPDのフランツ・ミュンテフェーリング副首相兼労働相の辞任が発表されると、副首相に就任。それに合わせて、メルケル首相の対ロシア・中国外交の姿勢、とりわけメルケル首相が9月にダライ・ラマ14世を首相官邸に招き、反発した中国政府が外交日程を一方的にキャンセルしている事態を批判した。泥沼化するアフガニスタン情勢については、NATOが要求するドイツ連邦軍の活動範囲拡大に反対しているものの、早期撤退にも反対している。 2008年9月、クルト・ベック党首の突然の辞任に伴い党首職を代行。また2009年ドイツ連邦議会選挙でSPDの連邦首相候補となることが内定した。総選挙直前の2009年8月に、2020年までに失業対策の為400万人の雇用創出、環境保護の推進、就学率の向上、男女同権などを掲げた「ドイチュラント・プラン」を発表するが、翌月の総選挙ではSPDは歴史的大敗を喫した。自身はブランデンブルク州の選挙区から出馬して初めてドイツ連邦議会に議席を獲得した。9月29日、SPDの連邦議会議員団長(院内総務)に選出された。第2次メルケル内閣が成立した10月28日に副首相・外相を離職した。 2013年ドイツ連邦議会選挙で大連立による第3次メルケル内閣が成立すると、外相に復帰した。同時に連邦議会党議員団長職を辞任した。
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