副首相時代
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「エフード・オルメルト」の記事における「副首相時代」の解説
2003年1月、オルメルトは第16代クネセト議会でリクードの選挙対策を担当するとともに、再び議員に当選した。彼は続いて、政党連立交渉の主管を担当、選挙後は副首相(首相代行)に任命されると共に、産業・貿易・労働相を兼任。また、2003年から2004年まで通信相を務めた。 2005年8月7日、ガザ地区全面撤退計画でシャロンと対立し辞職したベンヤミン・ネタニヤフに代わり、オルメルトは経済相代理に任命された。 オルメルトは元々撤退計画には反対の立場であり、1978年のキャンプ・デービッド合意にも反発するなど当時のリクード党首メナヘム・ベギンにも否定的だった。しかし、彼はこの時を振り返りこう語っている あの時、自分はベギンに反対した。歴史的な誤謬でありどれほど危険なことであるか何度もベギンに言ったものだ。だが今では、彼の英断を認めあの時の自らの判断が誤りであったことを(ベギンが)生きている間にお詫びできなかったことを申し訳なく思う。ベギンは正しく、自分は間違っていたのだ。我らをシナイから導いた主に感謝を── 彼はシャロンが新たな党カディマを立ち上げることを発表した時は真っ先に彼と共に離党した一人であった。
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