前史<1>・満州事変以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 09:52 UTC 版)
「二十カ年百万戸送出計画」の記事における「前史<1>・満州事変以降」の解説
1931年(昭和6年)の満州事変発生以降、関東軍は満州への大量移民計画案を作成し、その実施を日本政府に求めていたが、大蔵省の反対が強く、移民事業は試験的な意味を脱することができなかった。しかし、1936年(昭和11年)発生の二・二六事件によって、軍部の政治的発言力が飛躍的に増大し、かつ同時にこの事件により移民政策に消極的であった高橋是清蔵相が暗殺されたことから、関東軍にとっては自己が作成していた満州大量移民計画を実施する絶好の機会となった。そこで関東軍により作成された大量移民計画案が「満州農業移民百万戸移住計画」である。
※この「前史<1>・満州事変以降」の解説は、「二十カ年百万戸送出計画」の解説の一部です。
「前史<1>・満州事変以降」を含む「二十カ年百万戸送出計画」の記事については、「二十カ年百万戸送出計画」の概要を参照ください。
- 前史<1>満州事変以降のページへのリンク