初代 前田 竹房斎
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(明治5年(1872年) - 昭和24年(1949年)) 本名:房二郎。明治5年4月5日、泉北郡久世村大字平井(現・堺市平井)に生まれる。明治20年頃 土壁の網代を編んでいたところを、三世早川尚古斎に認められ、その後、独学で竹芸を学んだ。 明治末期、初代田辺竹雲斎の手がけていたヨーロッパへの輸出品制作に従事していたが、第一次世界大戦後、事業が縮小。初代竹雲斎のもとで煎茶道の文人籠制作を学ぶ。大正8年(1919年)同じ久世村出身の鈴木貫太郎の推薦で北白川宮殿下への献上品制作を行ったことを始めとし、その後、皇族に数々の作品を献上した。昭和24年7月15日堺市の自宅にて死去 。 特定の師を持たず、独学で研鑽を積んだ。竹の地下茎や破竹の自然な曲がりを使う「堺手」の名手と言われる。
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