刑事裁判および恩赦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 00:06 UTC 版)
「ラ・カントゥタ事件」の記事における「刑事裁判および恩赦」の解説
1993年5月、ペルー国軍で、このラ・カントゥタ事件の捜査が進められる。責任ある兵士および軍関係者7人が逮捕される。1993年12月、殺人行為に加わったとされる兵士に対して、一般刑事裁判での起訴の手続きがなされる。軍事裁判か、一般刑事裁判かで、軍部と検察とで争いが生まれる。1994年2月7日、ペルー最高裁判所は、ラ・カントゥタ事件は軍事裁判所が管轄とする決定を下す。同年2月21日、軍事裁判所で、ラ・カントゥタ事件の関係者に対して、懲役1年から20年の判決を下す。同年6月14日、恩赦法がペルー国会で制定されるが、内容には、「1980年から1995年までの人権侵害に係わって捜査、告発、有罪判決、刑の執行の対象となっている軍人、警察官、民間人の法的責任を免除する」という内容が含まれる。これにより、被告人とされていた兵士は釈放となる。1991年11月3日に起こった民間人殺害事件のバリオス・アルトス事件についても、リマ高等裁判所により、捜査終結が宣言される。
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