分散型コミュニケーションネットワークの考案とは? わかりやすく解説

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分散型コミュニケーションネットワークの考案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 07:05 UTC 版)

ポール・バラン」の記事における「分散型コミュニケーションネットワークの考案」の解説

RAND入所した後、1961年空軍バランに対して核攻撃下でも生き残り可能なネットワーク構築方法研究してくれるように依頼したバラン1962年にOn Distributed Communications Networks(「分散型コミュニケーションネットワーク」)と題する報告書をまとめた。この報告書骨子は「核攻撃によってネットワークシステム大半致命的なダメージ受けた事を前提」として「破壊されネットワーク用いる」「サバイバル性を強化するために中央ノード設けない」「データ小分けにして送受信する」というものであった1964年には62年報告書要約IEEE雑誌発表され広く知られることとなった。 続く1965年までにバランは、当時アメリカ通信網独占していたAT&T分散型コミュニケーションネットワークの提案説明行ったが、AT&Tバラン提案現実的ではないと考えてこれを退けた同年バラン分散型コミュニケーションネットワークは空軍によって「検討中」という処理がなされ暫く忘れ去られてしまう事になった一方イギリスでもバランとは独立した前提条件研究によってバランと同じ結論達した研究者存在した。これがイギリス国立物理学研究所ドナルド・デービスである。デービス研究将来的予想されるトラフィック増大と、データ品質向上するだろうという予想を基にして大幅なコミュニケーションシステム革新目的として始められたものであった自身提案分かりやすくするために「小分けされたデータ」に「パケット」と命名したのはデービスである。デービスがこの提案行ったのは1965年で、これは当時ARPANET直面していたコミュニケーションシステム問題一致していた。同年ARPANETの開発者であるローレンス・ロバーツ面会してコンピュータネットワークコミュニケーションシステムとしてデービス方式利用できないか検討された。 これに対してARPANETコミュニケーションシステムバラン方式採用されているとする言説数多く展開されている。この言説では「インターネット核攻撃下での通信生き残りのために開発された」という説とセットになって説明される事が多いが、当時ARPANET責任者であるロバート・テイラー初めとして関係者はこの言説否定している。

※この「分散型コミュニケーションネットワークの考案」の解説は、「ポール・バラン」の解説の一部です。
「分散型コミュニケーションネットワークの考案」を含む「ポール・バラン」の記事については、「ポール・バラン」の概要を参照ください。

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