出自から初期キャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 01:13 UTC 版)
「イヴェッチ・サンガロ」の記事における「出自から初期キャリア」の解説
イヴェッチ・サンガロはバイーア州ジュアゼイロで生まれ、幼少時代を過ごした。歌手としては学校のイベントで歌ったのが始まりで、その後バーなどで歌うようになった。やがて、イヴェッチは周囲から注目を集めるようになり、ソニー・ミュージックと契約した。 1993年、ソニー・ミュージックはアシェのグループ、バンダ・エヴァの改造を行い、イヴェッチ・サンガロはそのリード・ヴォーカルとして起用された。イヴェッチのカリスマ的イメージにより、初のアルバム『Banda Eva』はブラジルのアルバム・チャートの首位を記録する売り上げとなった。イヴェッチとバンダ・エヴァのライブ・アルバム『Banda Eva Ao Vivo』は100万枚を超える売り上げとなり、バンダ・エヴァのアルバムとしては最もよく売れた。 1997年、イヴェッチ・サンガロはソロとして独立し、1999年にはセルフ・タイトルのアルバム『Ivete Sangalo』を発売した。バイーア的なアップ・テンポのリズムとアシェの楽曲を多く収録したこのアルバムは、まもなくブラジルにおいてゴールド、そしてプラチナ・アルバムとなった。翌1998年にはソロ2枚目となる『Beat Beleza』を発表、これもまたプラチナとなった。 2001年、3枚目のアルバム『Festa』に収録の同タイトルのシングルが大ヒットとなり、このアルバムもブラジルにおいてプラチナ・アルバムとなった。「Festa」はそれまでのイヴェッチの楽曲の中で最大のヒットとなり、大量にラジオ放送された。結局、「Festa」は2001年ブラジルで最もヒットした楽曲となった。 2002年、イヴェッチは4枚目のアルバム『Se Eu Não te Amasse Tanto Assim』は、シングル・チャートの首位に輝いた同名の楽曲の名をつけたものである。このアルバムは、アメリカ合衆国の歌手、ブライアン・マックナイトとの競演曲などを収録したものであるが、イヴェッチのそれまでのアルバムほどには売れなかったものの、ヒット作品となっている。これに続いて翌2003年、イヴェッチは『Clube Carnavalesco Inocentes Em Progresso』をリリースした。このアルバムは彼女のアルバムとしては最も売り上げ数の少ないものであるが、それでもブラジルでゴールド・アルバムとなっている。
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