出羽高橋氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 16:25 UTC 版)
近江佐々木源氏を祖とし、大江広元の長子・親広が承久3年(1221年)承久の乱で敗れると、共に出羽国寒河江荘に下向したという。高橋氏は寒河江氏譜代の臣として活動し、応安元年/正平23年(1368年)9代信綱のとき斯波兼頼との漆川の戦いにおいて息子運信と共に討死、また大永元年(1521年)18代正行の時、伊達氏との対陣に出動している。天正12年(1584年)寒河江氏は最上氏の侵攻により滅ぶが、高橋氏は最上氏に下り存続した。
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