出生から3歳前半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/22 08:45 UTC 版)
1946年にカルメットファームで産まれたサラブレッドの牡馬で、カルメットファームと関係の深かったベン・ジョーンズ調教師に預けられて競走馬となった。 ポンダーは道中は最後方につけながら、最終コーナーで先頭までまくりあげる追い込み脚質の馬で、それゆえに追い込み遅れて勝ちを逃したと見られる競走も少なくなかった。デビューは1948年の2歳時からであったが、同年は4戦するも勝ち上がれず、2着に1回入ったのが最高であった。 初勝利を挙げたのは3歳になった翌年1949年の1月3日で、トロピカルパーク競馬場の未勝利戦にてようやく勝ち上がると、フロリダ開催においてさらに2勝を挙げた。それなりの成績を挙げるようになったポンダーであったが、多数の競走馬を抱えるカルメットファームの陣営からはそれほど期待されておらず、ケンタッキーダービーへの出走候補としても陣営期待のデラックスに次ぐ2番手扱いであった。 しかしキーンランド競馬場で行われたグレンビューパースという6.5ハロン(約1307メートル)の一般戦において、この2頭の優先順位は突如入れ替わった。ポンダーが4着に入った一方で、デラックスはポンダーから13馬身半も遅れた最下位の6着に敗れていたのである。両者を調教していたジョーンズはこの結果が信じられず、「(デラックスが)ポンダーに12馬身も付けられて負けるなんて信じられない。普段はポンダーが12馬身離されていたのに。」とコメントしている。ポンダーとデラックスは続くダービートライアルにも出走し、ポンダーは8ポンドのトップハンデを背負うオリンピアに3/4馬身差まで迫る2着に喰い込んだ一方、デラックスは再び最下位に沈む結果に終わり、どちらがケンタッキーダービーに出るべきかを決定的にした。しかしジョーンズおよびカルメットファームの陣営は、それでもなおポンダーをデラックス以上のものと評価できず、ダービーの3週間前にはジョーンズが「ダービーに出すのは、ちょっとでも賞金にありつければと思ってのこと。競走中に何があっても、オリンピアの尻もなめられないよ。」とコメントしていたほどである。
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