出生から3歳前半まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:06 UTC 版)
アメリカ合衆国の政治家リチャード・クローカー(英語版)が所有するグレンケアン牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である。アイルランドにおいて生産されたとある場合もあるが、実際のところイングランドで誕生したのちに母馬とともにアイルランドに渡っている。クローカーはイギリスのジョッキークラブにイングランドでの馬主登録を拒否された経緯があり、このためオービーはヘンリー・パースのもとで短期間調教を積んだのち、キルデア州マッデンズタウンのジム・パーキンソンのもとへ送られた。 オービーは蹄が脆く、このため2歳時は2度しか出走させられなかった。デビュー戦はレパーズタウン競馬場で行われて3着で、戻ってきたオービーは脚から血を流していたという。また次にカラ競馬場で行われた競走でも3着であった。 3歳になったオービーはダブリン近郊サンディフォードのフレッド・マッケイブ調教師のもとに転厩した。オービーは3歳初戦にリバプールのエイントリー競馬場で行われたアールオブセフトンプレートに出走、これに勝利した。5月になってアイルランドに戻ったオービーはダブリンのバルドイル競馬場で行われたバルドイルプレート(12ハロン)に出走、単勝約1.4倍に支持されたでも楽に勝利を挙げた。2000ギニーにも登録されなかった明け3歳当時のオービーのエプソムダービーにおける予想倍率は21倍と大穴であったが、これらの勝利でダービー当日には約12倍まで倍率を下げていた。この頃、クローカーはオービーのために2,500ギニーを払ってハイデンという馬を購入し、これをオービーの調教相手につけている。また、オービーを警護するためのボディガードも雇い入れていたという。
※この「出生から3歳前半まで」の解説は、「オービー」の解説の一部です。
「出生から3歳前半まで」を含む「オービー」の記事については、「オービー」の概要を参照ください。
- 出生から3歳前半までのページへのリンク