再始動全盛期(1982年 - 1989年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 04:00 UTC 版)
「クワイエット・ライオット」の記事における「再始動全盛期(1982年 - 1989年)」の解説
しかし1982年3月19日、ランディ・ローズが飛行機墜落事故で死去したのを受け、ダブロウは再びクワイエット・ライオットとして活動することにする。カルロス・カヴァーソをギタリストに迎え、ドラマーはフランキー・バネリを加えて新たなラインナップが完成した。同年9月、アメリカのCBSレコードと契約。1983年の3月11日に、彼らのアメリカでのデビュー作『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』が発表された。 1983年8月27日、セカンド・シングルである「カモン・フィール・ザ・ノイズ」がリリースされた。表題曲はスレイドの1973年のヒット曲のカヴァーで、全米5位の大ヒットとなった。ヘヴィメタル・バンドとしてビルボード・チャートで5位以内にランクインした曲はこれが初めてのことであった。またこの曲のヒットのお陰でアルバムもビルボード・チャートを上昇していき、全米1位を記録した。1983年当時、ヘヴィメタル・バンドがアルバムを全米1位に送り出すことは非常に珍しいことであった。 1984年7月7日、バンドは前作と同じメンバーで『コンディション・クリティカル』をリリースした。そこそこヒットはしたが、前作のような成功は得られず300万枚の売り上げにとどまった。 1985年にはベーシストのサーゾが脱退。後任には元ジェフリアのチャック・ライトが迎えられた。次に、バンドは1986年にアルバム『QR3』をリリースしたが、100万枚程の売り上げに留まった。また、ダブロウは普段から不遜な態度をとることが多く、そうした態度に嫌気が差した他のメンバーやレコード会社によってバンドを解雇された。ダブロウ解雇の経緯は、『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』のライナーノーツに書かれている。後任には元ラフ・カットのポール・ショーティノが迎えられた。また、ベーシストのチャック・ライトも脱退し、ショーン・ マクナブが後を引き継いだ。やがてバンドはアルバム『新たなる暴動』をリリースしたが、今回もまた商業的に成功したとは言い難い結果となった。やがてバンドは1989年のツアー最終地である日本での公演を最後に活動を停止することになる。活動停止後、バネリはW.A.S.P.のサポート・メンバーとして活動。
※この「再始動全盛期(1982年 - 1989年)」の解説は、「クワイエット・ライオット」の解説の一部です。
「再始動全盛期(1982年 - 1989年)」を含む「クワイエット・ライオット」の記事については、「クワイエット・ライオット」の概要を参照ください。
- 再始動全盛期のページへのリンク