冊封体制の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:22 UTC 版)
大きく広がった冊封体制の崩壊が始まるのは、19世紀、西欧列強の進出によってである。 清国はアヘン戦争での敗北により、条約体制に参加せざるを得なくなり、更にはベトナムの阮朝が清仏戦争の結果、フランスの植民地となる。この時点でも、未だに清朝はこれらを冊封国に対する恩恵として認識(あるいは曲解)していた。しかし、1895年、日清戦争で日本に敗北し、日本は下関条約によって清朝最後の冊封国であった朝鮮を独立国と認めさせ、ついに冊封体制が完全に崩壊することとなった。
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