内閣の動揺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 14:55 UTC 版)
大隈首相は、書記官を通して演説問題を調査したが、問題はないということで片付けようとした。しかし9月3日には旧自由党派の大臣である板垣内務大臣、林有造逓信大臣、松田正久大蔵大臣が尾崎を不問にするならば、内閣全体で責任を負わねばならないとして、尾崎を処分するよう求めた。9月5日には軍部大臣である桂太郎陸軍大臣と西郷従道海軍大臣が大隈首相に面会し、尾崎を参内させて天皇に謝罪するよう求めた。これをうけて尾崎は謝罪をすれば自らの非を認めるものだと難色を示したが、同日に宮内省を訪れ、徳大寺侍従長を通じて謝罪と弁明を行った。しかし尾崎の謝罪に対して宮中からの反応はなく、世論や新聞、旧自由党派等の尾崎攻撃はなおも強まった。また貴族院内でも尾崎に対する批判が起き、対応に苦慮した近衛篤麿貴族院議長は尾崎が貴族院で陳謝してもらえないか打診を行っている。
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