内戦、晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/17 14:36 UTC 版)
日中戦争終結直前の1945年(民国34年)5月、潘公展は国民党第6回全国代表大会で「中共問題に冠する総報告」を行い、その中で共産党の割拠を徹底的に非難した。同年12月、上海に戻って『申報』社長兼市党部常務委員となり、翌年6月には上海市参議会議長に選出されている。国共内戦期間中も蒋介石支持の宣伝や政策推進に取り組んだ。 しかし内戦は国民党不利に傾いていった。1949年(民国38年)2月、潘公展は共産党との和平交渉に反対の意思表示をしたが、同年5月に上海は陥落、その直前に香港へ逃亡した。同年末にはカナダへ亡命し、1950年(民国39年)、アメリカに移っている。以後、陳立夫らと『華美日報』を創刊し、引き続き反共の言論を展開した。 1975年(民国64年)6月23日、ニューヨークにて病没。享年81(満79歳)。
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