内地時代
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1942年(昭和17年)11月1日 - 拓務省の廃止と大東亜省の設置に伴い樺太庁が内務省へ移管される。 1943年(昭和18年)4月1日 - 前述の勅令第124号が廃止され、樺太が正式に内地編入される。北海道とともに北海地方 に含まれた。 11月 - 豊原市を中心とした南部の防衛を任務とする第30警備隊を新設。 1945年(昭和20年)2月28日 - 樺太混成旅団を基幹に、歩兵第306連隊(第30警備隊改編)と迫撃砲1個大隊を加えて、豊原にて第88師団が編成された。 4月以降に日銀豊原事務所開設。 6月15日 - 豊原海軍武官府開庁。 8月9日 - ソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄して侵略開始(ソ連対日参戦、樺太の戦い (1945年)。本土最後の地上戦の開始。) 8月20日 - 真岡郵便電信局事件が起こる。 8月22日 - 三船殉難事件が起こる。 8月24日 - 稚泊連絡船運行休止。 8月25日 - 赤軍が樺太全島を占領する(本土最後の地上戦の終結)。民間人の死者は三船殉難を含め3,500-3,700人と推定されるが、正確な人数は不明[出典無効]。
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