兵庫スイングスマイリーズ時代
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「小西美加」の記事における「兵庫スイングスマイリーズ時代」の解説
1年目の2010年は最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の投手3冠を達成。その他にも登板数・完封数・投球回数など投手部門の多くの項目でリーグ1位となった。野手としても盗塁王のタイトルを獲得し、打点もリーグ2位となるなど投打に渡って圧倒的な実力を見せ付け、チームの前後期連続優勝に大きく貢献した。なお、前回大会まで2回連続で代表に選ばれていた第4回IBAF女子ワールドカップには、機構側がリーグ戦に専念するためにセレクションへの参加自体を見送る方針を示したため選ばれなかった。 2011年は防御率は荒井蛍に次ぐ2位で2年連続の投手3冠は逃したが、前年に続いて最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。この年の登板数26に対し13完投を記録し、ちょうど日本プロ野球機構(NPB)の規定投球回にあたる144イニングを投げた。野手としては、7月23日の後期1回戦でGPBL史上初本塁打となるレフト柵越え本塁打を打ち2つの目標の片方を達成。最終的に2本塁打を記録して本塁打王のタイトルを獲得した(ちなみにこの年本塁打を打った選手は小西のみである)。2年連続の前後期優勝に貢献し、前年は川保麻弥との比較で惜しくも受賞を逃したMVP(角谷賞)も受賞した。シーズン終了後にリーグ3球団目となる大阪ブレイビーハニーズの設立に伴い、大阪に移籍。
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