兵庫バプテスト教会
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「日本基督教団神戸聖愛教会」の記事における「兵庫バプテスト教会」の解説
タムソン宣教師夫妻が、善隣幼稚園で伝道を始めると同時に、1895年8月、兵庫戸場町22番邸に兵庫講義所を開設したのがこの教会の起源である。1908年(明治41年)3月に兵庫浸礼教会を設立した。1911年(明治44年)兵庫バプテスト教会に改称。この通称「兵庫教会」は、近くに新開地という歓楽街を控え、盛り場での街頭伝道中に石つぶての洗礼を受けるなど、他の教会には見られない幾多の迫害を経験したが、家庭的な教会として伝道活動を続けた。1911年10月、兵庫塚本通1丁目に新会堂を献堂した。この会堂はヴォーリスの設計による木造モルタル張り、洋風の落ち着いたたたずまいは周囲の民家と溶け合った存在であった。教会は東部組合に所属していたが、1940年1月、東部組合が西部組合と合同してバプテスト教団となると、名称を日本バプテスト兵庫基督教会に改称した。さらにバプテスト教団は、1941年、宗教団体法によって設立された日本基督教団に第4部として加盟し、それにより教会名は神戸塚本教会と改称した。1945年3月、他の二つの教会に先だって空襲により会堂を焼失し、礼拝の継続は困難となった。
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