公用語の変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:25 UTC 版)
ヘラクレイオスの最も重要な遺産の一つは、620年に帝国の公用語をラテン語からギリシア語へ変えたことである。もっとも、古代ローマとの連続性を誇りに思う住民感情も根強かったらしく、10世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス7世は、その著書『テマの起源について』の中で、ヘラクレイオスが帝国の公用語をラテン語からギリシア語に改めたことを「父祖の言葉を棄てた」と表現している。皇帝をはじめとする東ローマ帝国の人物名について、日本人の研究者の間では、公用語がラテン語であったフォカスまでをラテン語で、ギリシア語に改めたヘラクレイオス以降はギリシア語で表記するのが一般的である。 また、629年にサーサーン朝に勝利して首都コンスタンティノポリスヘ凱旋したヘラクレイオスは、従来の皇帝の称号「インペラトル(ラテン語:Imperator)/アウトクラトール(ギリシア語:αὐτοκράτωρ/Autokrator)」ではなく、「キリスト信者のバシレウス」と名乗った。それまで「バシレウス(ギリシア語)」はサーサーン朝など周辺諸国の「王」を示す言葉であったが、以後これが東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。
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