公園線の開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/24 08:14 UTC 版)
1909年(明治42年)、当時は御器所村の一部であった水田地帯を埋立て「鶴舞公園」が造成された。翌1910年(明治43年)に、3月から6月にかけてこの鶴舞公園にて開催された第10回関西府県連合共進会は、名古屋市の商工業を急激に発展させたとされる。 共進会開催を翌年に控えた1909年3月、鶴舞公園へのアクセス改善と都市化が進む前津小林地区(1896年編入の新市域)の道路改善を目的に、公園道路の整備が決まった。公園道路の概要は、中区新栄町6丁目より東田町・白山町・愛知郡千種町西南部・御器所村大字御器所・中区前津小林を経て上前津(大津通)へ至るというものであった。この公園道路は1909年末までに竣工している。またその間の同年10月、千種町・御器所村のうち沿道地域(中央本線以西)と鶴舞公園造成部分が新たに名古屋市へと編入された。 上記公園道路には計画段階から路面電車敷設が予定されていた。事業を担ったのは1898年(明治31年)より市内線を走らせる名古屋電気鉄道で、1909年5月21日付で新栄町6丁目と上前津町の間の軌道敷設特許を取得した。同区間すなわち公園線は名古屋港へ向かう築港線とともに共進会会場へのアクセス路線として建設が進められ、1910年2月23日、鶴舞公園経由で栄町線新栄町停留場と熱田線上前津停留場を結ぶ路線として開業をみた。
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