公共サービスと芸術教育活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 07:47 UTC 版)
「ルース・アサワ」の記事における「公共サービスと芸術教育活動」の解説
アサワは改革的な、特に子供達へ体験させる芸術教育の熱心な支持者で、この活動に情熱的に傾倒していた。1968年、アサワはサンフランシスコ芸術委員会のメンバーへと任命されると、政治家や慈善団体に対して一般のサンフランシスコ市民や幼い子供たちに有益な芸術プログラムへの支援を求めるロビー活動を開始した。1968年、生徒向けのアルバラド芸術体験講座の共同設立に協力した。1970年代のはじめ、これは連邦資金調達プログラムの予算を用いた職業訓練総合計画(英語版)であるCETA/Neighborhood Arts Programのモデルとなり、全国で模倣されすべてのジャンルの芸術家を雇用し市の公共事業を任せることとなった。 アルバラドは取り組みは芸術と園芸を融合させたもので、アサワは自らの教育法をその農園に反映させている。アサワは子供たちが実際に手をふれて行う体験や「試行錯誤 (learn by doing )」が重要だと確信していた。アサワ自身がブラック・マウンテン・カレッジにおいて活動する芸術家たちから学んだことを取り入れ、子供たちがプロの芸術家たちから学ぶ効果についても確信していた。アサワは教室で教える教師がその他すべての責任を持ったうえで、さらに芸術を教えることはできないと考えた。プログラムの予算の85%は学生が学ぶためにプロの芸術家やパフォーマーを招聘することに費やされた。この方針は1982年に建てられた公立の美術高校に受け継がれた。この学校は2010年に彼女の名誉を讃え、ルース・アサワ・サンフランシスコ芸術学校(英語版)に改名された 。 アサワは1976年から芸術の為の基金事業団体であるカリフォルニア芸術協議会に勤め、1989年から1997年の間、サンフランシスコ美術館(英語版)の理事を務めた。
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