八千代町の団地の通勤手段(1954年頃〜)
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「東洋バス」の記事における「八千代町の団地の通勤手段(1954年頃〜)」の解説
1954年1月、千葉郡大和田町と睦村が合併し八千代町となった。「八千代」の地名はその際に公募によって付けられた瑞祥地名である。同年9月に印旛郡阿蘇村と合併し、現在の八千代市にほぼ近い形となった。八千代町の市制施行日は1967年1月1日である。 この間に八千代市(町)は、1956年に八千代台駅が開業し、翌年には八千代台団地が完成(八千代台駅西側)した。これをきっかけに八千代市の人口は急増し、その後の東洋バスの路線拡張の大きなきっかけとなった。当初は大和田駅(大和田営業所)を起点としていた東洋バスであったが、八千代台駅の開業によって一部の路線が同駅発着に変わる。 1962年には八千代工業団地が完成した。これに伴い、東洋バスは大和田駅および八千代台駅から工業団地に至る路線を開通させた。一部の便はさらに先の城橋、内宿、米本(現・阿蘇小学校)を通り、下高野まで至っていたようである。京成も津田沼駅発でここを通る路線を開通したようであるが、これを示す公開資料は今のところ見つかっていない。 その後、1965年前後に東洋バスは八千代市内(町内)循環線を開通した。ルートは八千代台駅〜高津観音〜市役所入口〜大和田駅〜グランド前〜八千代台駅というもので、後に大和田駅で分割運行される。 このほか、主要な路線の開通としては米本団地線と高津団地線の開通がある。米本団地は1970年、高津団地は1971年にそれぞれ入居が始まり、この足として開通したものである。米本団地線については、のち八千代市北端の小池まで延長される。 以上の経緯により、東洋バスは現在の路線エリアの原型を形作っていった。
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