元・高麗・南宋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:33 UTC 版)
元寇では元および服属した高麗・南宋の兵により、対馬や壱岐、北部九州沿岸に幅広く侵攻、日本住民を大量虐殺し、また捕虜・奴隷として大量に連れ帰った。『日蓮註画讃』第五「蒙古來」篇では、「二島百姓等。男或殺或捕。女集一所。徹手結附船。不被虜者。無一人不害」(壱岐対馬の二島の男は、あるいは殺しあるいは捕らえ、女を一カ所に集め、手をとおして船に結わえ付ける。虜者は一人として害されざるものなし)、『一谷入道御書』では「百姓等は男をば或は殺し、或は生取りにし、女をば或は取り集めて、手をとおして船に結び付け、或は生取りにす。一人も助かる者なし」とある。文永の役でこれら日本民は奴婢として元朝の王侯貴族やや将兵の間で下賜、贈答または献上された。高麗王・忠烈王と妃クトゥルクケルミシュには日本人の子供男女200人が献上された。
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