元・高麗連合軍の出航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
1274年(文永11年・至元11年)10月3日、モンゴル人の都元帥・クドゥン(忽敦)を総司令官として、漢人の左副元帥・劉復亨と高麗人の右副元帥・洪茶丘を副将とする蒙古・漢軍 15,000~25,000人の主力軍と都督使・金方慶らが率いる高麗軍5,300~8,000、水夫を含む総計27,000~40,000人を乗せた726~900艘の軍船が、女真人の軍勢の到着を待って朝鮮半島の合浦(がっぽ:現在の大韓民国馬山)を出航した。 なお、726~900艘の軍船の構成は、大型戦艦の千料舟126~300艘、上陸用快速船艇のバートル(抜都魯:モンゴル語で「勇猛なる」の意)軽疾舟300艘、補給用小船の汲水小舟300艘から成っていた。
※この「元・高麗連合軍の出航」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「元・高麗連合軍の出航」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。
- 元・高麗連合軍の出航のページへのリンク