停止後の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:32 UTC 版)
2005年2月6日:福井県知事の西川一誠は、それまで留保していたもんじゅの改造工事を了承した。西川は「これをもって運転再開を了承するものではない」としたが、もんじゅ反対派からは批判する声が上がった。 2005年9月27日:フランス共和国が、日本に対しもんじゅの共同利用を提案した。 2009年4月22日:運転再開を目指しているもんじゅでナトリウム漏れ検出器の取り付けミスなどのトラブルを多発していることに関して日本原子力研究開発機構は、経済産業省の原子力安全・保安院小委員会に報告書を提出した。 2010年2月10日、原子力発電所に反対する市民団体や住民運動団体が、日本原子力研究開発機構に対して「危険なもんじゅの運転再開はするな」、「万全な地震対策を」などを申し入れた。また、関西電力や日本原子力発電に対しても耐震対策の確立などを申し入れた。 2010年3月:2003年から2008年の5年間にわたり、日本原子力研究開発機構から業務を請け負う地元企業数社が、敦賀市長河瀬一治や、西川のパーティー券を累計で、河瀬から222万円、西川から130万円分、それぞれ購入していたことが発覚し、運転再開の判断を巡る公平性に疑問が投げかけられる状況となった。
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