信越化学工業との合併
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日本合成化学工業の傘下に入った大同化学工業であるが、1944年(昭和19年)になると同社ではなく信越化学工業との関係が深まった。 信越化学工業は長野県の電力会社信濃電気(後の長野電気)などの出資により1926年(大正15年)に設立。当初はカーバイド・石灰窒素の製造を事業主体としたが、1939年から順次フェロアロイ製造やマグネシウム・マンガン精錬など軍需産業に乗り出していた。太平洋戦争末期の1944年秋になると、軍需省より信越化学工業・大同化学工業両社に対し、フェロアロイ製造と自家用に製造していた炭素電極について提携するよう命令が出された。具体的には、大同化学工業は信越化学工業に対しフェロアロイ・炭素電極の生産設備を貸与し、その技術指導を受けること、という内容であった。 軍需省の命令に対し大同化学工業側は非協力的であったといい、信越化学工業は提携ではなく全面的な経営移管を求めたという。信越側の要請により、軍需大臣は1945年(昭和20年)3月27日付で企業整備令に基づく両社の合併命令を発する。同年4月25日には合併契約書締結に進み、5月1日付で信越化学工業は大同化学工業を吸収合併した。合併比率は軍需省の指示で1対1の対等合併とされたが、合併をめぐり日本合成化学工業は反対運動を展開したため、大同化学工業側の株主総会で合併契約が可決されたのは合併成立よりも遅い5月31日のことであった。 合併に伴い大同化学工業の工場は信越化学工業武生工場となった。武生工場では1970年(昭和45年)から翌年にかけてカーバイド・石灰窒素の生産が停止されているが、1960年代以降はレアアース・レアアースマグネットの製造拠点として位置づけられている。
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