信越化学工業との合併とは? わかりやすく解説

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信越化学工業との合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:30 UTC 版)

大同肥料」の記事における「信越化学工業との合併」の解説

日本合成化学工業傘下入った大同化学工業であるが、1944年昭和19年)になると同社ではなく信越化学工業との関係が深まった信越化学工業長野県電力会社信濃電気(後の長野電気)などの出資により1926年大正15年)に設立当初カーバイド石灰窒素製造事業主体としたが、1939年から順次フェロアロイ製造やマグネシウム・マンガン精錬など軍需産業乗り出していた。太平洋戦争末期1944年秋になると、軍需省より信越化学工業大同化学工業両社対しフェロアロイ製造自家用製造していた炭素電極について提携するよう命令出された。具体的には、大同化学工業信越化学工業対しフェロアロイ炭素電極生産設備貸与し、その技術指導を受けること、という内容であった軍需省命令対し大同化学工業側は非協力的であったといい、信越化学工業提携ではなく全面的な経営移管求めたという。信越側の要請により、軍需大臣1945年昭和20年3月27日付で企業整備令に基づく両社合併命令発する同年4月25日には合併契約書締結進み5月1日付で信越化学工業大同化学工業吸収合併した。合併比率軍需省指示1対1対等合併とされたが、合併をめぐり日本合成化学工業反対運動展開したため、大同化学工業側の株主総会合併契約可決されたのは合併成立よりも遅い5月31日のことであった合併に伴い大同化学工業工場信越化学工業武生工場となった武生工場では1970年昭和45年)から翌年にかけてカーバイド石灰窒素生産停止されているが、1960年代以降はレアアース・レアアースマグネットの製造拠点として位置づけられている。

※この「信越化学工業との合併」の解説は、「大同肥料」の解説の一部です。
「信越化学工業との合併」を含む「大同肥料」の記事については、「大同肥料」の概要を参照ください。

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