信藤健仁とは? わかりやすく解説

信藤健仁

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 10:05 UTC 版)

信藤 健仁
名前
カタカナ シントウ カツヨシ
ラテン文字 SHINTO Katsuyoshi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1960-09-15) 1960年9月15日(64歳)
出身地 広島県広島市
身長 180cm[1]
体重 73kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1976-1978 安古市高校
1979-1982 中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1990 マツダ
1990-1992 三菱/浦和レッズ 43 (2)
1993-1995 フジタ/ベルマーレ平塚 28 (0)
通算 71 (2)
代表歴
1987-1990[2] 日本 15 (1)
監督歴
1996 平塚普及コーチ
1997-1998 平塚ヘッドコーチ
1999 東邦チタニウムコーチ
2001-2002 横浜FC監督
2006-2007 中央大学ヘッドコーチ
2008-2009 浦和チームダイレクター
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

信藤 健仁(しんとう かつよし、1960年9月15日 - )は、日本の元サッカー選手DF)、指導者(JFA 公認S級コーチ)。広島県広島市出身。元サッカー日本代表中央大学文学部国文科卒業。JSL時代の登録名は信藤 克義(しんとう かつよし)で、Jリーグ後は信藤 健仁と登録されている。

経歴

広島のサッカー無名校である広島県立安古市高等学校(2期生)、中央大学を卒業後の1983年、今西和男総監督と二村昭雄監督に誘われ日本サッカーリーグ1部所属のマツダSC(現 サンフレッチェ広島)に入団[3]。その年、チームは最下位となりチームは2部転落してしまう。

翌年ハンス・オフトおよびディド・ハーフナーがコーチに招聘され、双方からプロとして大きな影響を受けた[4]。1985-86年シーズン、チームは再び1部復帰。

そこでの活躍を受けて1987年、石井義信監督下で日本代表に初選出される。翌1988年、横山兼三監督就任と同時にレギュラーに定着。若い井原正巳堀池巧らと共にディフェンスラインを形成し、1989年のワールドカップイタリア大会アジア予選を戦った。また同年6月のインドネシア戦ではゴールも記録、翌1990年のアジア競技大会北京大会では主将も務めた。

また、所属チームでは松田浩と共にセンターバックとして活躍。1986年、サッカー界全体の流れから今西にプロ契約を直談判し、マツダのプロ契約第1号となる[5]。1988年にはチームの天皇杯決勝進出に貢献した。

しかし1987-1988年シーズン、マツダは再び2部転落。1部への移籍を希望[6] し、1990年三菱自動車(現 浦和レッドダイヤモンズ)に移籍。斉藤和夫監督下で守備の要として活躍したが、2年連続下位に沈み、1992年のナビスコ杯直前、チームがトリビソンノを獲得しレギュラーを剥奪された。

1993年、フジタSC(現 湘南ベルマーレ)球団部長だった石井義信と古前田充監督に誘われ、Jリーグ入りを目指すフジタへ移籍。ベルマーレ平塚誕生後の若いチームを引っ張り、1994年昇格後のNICOSシリーズ(セカンドステージ)2位、天皇杯優勝、アジアカップウィナーズカップ優勝に貢献した。1995年、35歳で引退。

翌1996年からベルマーレ平塚サッカー普及コーチ、1997年からベルマーレ平塚ヘッドコーチ。1996年立ち上げられた「Jリーグ選手協会」にも顧問として尽力した。

2001年9月、代表時代から師弟関係にあった奥寺康彦に誘われ、J2昇格初年度を戦っていた横浜FCの監督に就任。サッカーファンを仰天させた2-4-4の超々攻撃的システムを掲げ戦う[7]。明確な戦術を提示し積極的に若手を起用、神野卓哉をくさびとする波状攻撃を仕掛け2年間を戦うも、相手チームの徹底したカウンター攻撃に沈み、2002年はJ2最下位という結果に終わり解任された。

また現役引退後からテレビ(WOWOW他)の解説、新聞、サッカー雑誌評論などでも活躍。2006年から中央大学サッカー部のヘッドコーチも務めた。

2008年12月より、浦和レッドダイヤモンズのチームダイレクターに就任。統括責任者としてトップチームの編成等を行うも、2009年途中に補強失敗によるチームの成績不振によって、一部サポーターから自宅襲撃に遭う。以後、体調不良を訴え、精密検査を受診したところ甲状腺の機能障害が認められ、治療が必要と診断され11月29日に体調不良で休養に入ることを発表した。その後、12月25日にチームダイレクター退任が発表された。「Talk on Together 2010」内で、「信藤健仁さんの健康状態はどうなのか」という一般からの質問に対し橋本光夫社長からは「健康状態は回復しつつあるが時間がかかる」とのコメント。また信藤と会談があったことが伝えられ、「謝罪も無くシーズン中にチームを離れることになって申し訳ない、出来れば回復したらここに来て謝罪したい」とのコメントが発表された。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1983 マツダ JSL1部
1984 JSL2部 2 1
1985
1986-87 5 JSL1部
1987-88
1988-89 JSL2部
1989-90 30 1 2 0
1990-91 三菱 25 JSL1部 21 1 1 0
1991-92 5 22 1 1 1
1992 浦和 - J - 1 0 0 0 1 0
1993 フジタ 旧J1 12 0 3 0 0 0 15 0
1994 平塚 - J 14 0 0 0 0 0 14 0
1995 2 0 - 0 0 2 0
通算 日本 J 16 0 1 0 0 0 17 0
日本 JSL1部 100 2
日本 JSL2部
日本 旧JFL 12 0 3 0 0 0 15 0
総通算

JSLオールスターサッカー 3回出場(1986年、1987年、1992年)

その他の公式戦

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 15試合 1得点(1987-1990)[2]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1987 2 0 5 0 7 0
1988 3 0 12 0 15 0
1989 8 1 7 0 15 1
1990 2 0 0 0 2 0
通算 15 1 24 0 39 1

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1987年05月27日 広島県 広島県総合グランドメインスタジアム  セネガル △2-2 石井義信 キリンカップ
2. 1987年06月26日 インドネシア  インドネシア ○2-1 オリンピック予選
3. 1988年01月27日 ドバイ  アラブ首長国連邦 △1-1 横山謙三 国際親善試合
4. 1988年01月30日 アブダビ  アラブ首長国連邦 ●0-2 国際親善試合
5. 1988年02月02日 マスカット  オマーン △1-1 国際親善試合
6. 1989年05月10日 東京都 国立西が丘サッカー場  中華人民共和国 △2-2 国際親善試合
7. 1989年05月22日 香港  香港 △0-0 ワールドカップ予選
8. 1989年05月28日 インドネシア  インドネシア △0-0 ワールドカップ予選
9. 1989年06月04日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  北朝鮮 ○2-1 ワールドカップ予選
10. 1989年06月11日 東京都 国立西が丘サッカー場  インドネシア ○5-0 ワールドカップ予選
11. 1989年06月18日 愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  香港 △0-0 ワールドカップ予選
12. 1989年06月25日 平壌  北朝鮮 ●0-2 ワールドカップ予選
13. 1989年07月23日 リオデジャネイロ  ブラジル ●0-1 国際親善試合
14. 1990年09月28日 北京  サウジアラビア ●0-2 アジア大会
15. 1990年10月01日 北京  イラン ●0-1 アジア大会

得点数

# 開催日 開催地 会場 相手 結果 大会
1 1989年06月11日 東京都 国立西が丘サッカー場  インドネシア ○5-0 ワールドカップ予選

指導歴

監督成績

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 ナビスコ杯 天皇杯
2001 J2 横浜FC 9位 44 43 15 1 28 2回戦敗退 4回戦敗退
2002 J2 横浜FC 12位 44 35 8 11 25 - 3回戦敗退
J2通算 - 88 - 23 12 53

脚注

  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』p96
  2. ^ a b “信藤 健仁”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_sa/katsuyoshi_shinto.html 
  3. ^ 入団同期に小林伸二木村孝洋今川正浩上原洋史、山田隆(山田直輝の実父)ら。
  4. ^ フィジカルトレーニングは、かつて経験したことのないほどの量と厳しさだったと言う。また、ハーフナーは24時間頭の中はサッカーだけだったと言う。
  5. ^ ちなみに同期の今川も同年にプロ契約している。
  6. ^ 英語が堪能な夫人は当時マツダ本社に勤めるキャリアウーマンで、その仕事も犠牲にしなければならなかった。
  7. ^ History of YOKOHAMA FC 2002”. 横浜FC. 2013年9月21日閲覧。

参考文献

  • 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
  • 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
  • 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
  • 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8116-7
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 2003』、NTT出版、2003 ISBN 4-7571-8135-3

関連項目

外部リンク





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日本のサッカー選手 山口敏弘  杉本真  信藤健仁  石川直宏  加藤好男
日本のサッカー指導者 加茂周  山口敏弘  信藤健仁  大熊裕司  實好礼忠
サッカー日本代表選手 川西武彦  山口敏弘  信藤健仁  石川直宏  加藤好男
浦和レッドダイヤモンズの選手 郭慶根  石井俊也  信藤健仁  細貝萌  名取篤
東洋工業サッカー部の選手 安原真一  川西武彦  信藤健仁  樽谷明  松山大輔
ベルマーレ平塚の選手 パウロ・セザール・ビエイラ・ローサ  反町康治  信藤健仁  野口幸司  田坂和昭
藤和不動産サッカー部の選手 岩元洋成  手塚聡  信藤健仁  野口幸司  久保山雅彦
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