作詞者・作曲者の探求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:07 UTC 版)
「琵琶湖周航の歌」の記事における「作詞者・作曲者の探求」の解説
戦前・戦後にかけて流行歌となったこの歌であるが、1971年(昭和46年)のヒットの頃まで、作詞者小口は名前のみ伝わったものの人物像は不明となり、作曲者については忘れ去られた状況となっていた。この頃の歌集などでは、作詞・作曲者を「小口太郎」または「三高ボート部」とする表記が使われていた。 その後、作詞者・作曲者について、飯田忠義(NHKアナウンサー)ら研究者による調査が進められた。飯田は当時の水上部クルーからの聞き取りを行い、歌の誕生の過程を浮かび上がらせた。1979年(昭和54年)には、曲が「ひつじぐさ」のメロディーを転用したもので作曲者の名が吉田千秋であることが判明するものの、身元や人物像は依然として不明なまま残った。進展が見られるのは1993年(平成5年)、今津文化会館で開催された「琵琶湖周航の歌開示75周年記念イベント」に際してである。吉田が東京から新潟県に転居していることが判明したことから新潟県の地元紙に調査を依頼、『新潟日報』6月11日夕刊に掲載された記事が地元の吉田東伍研究者の目に留まり、吉田の人物像が判明した。 小口と吉田は、大正時代にともに20代で早世している。互いに面識はないままであった。
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