作詩の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 07:44 UTC 版)
加藤は1965年(昭和40年)、朝日新聞記者本多勝一のインタビューに答えて、作詩の経緯について、「動機って、ただ『少女倶楽部』から“何でもいいから”と注文されただけですよ。ぼくは沙漠どころか、外国へはどこも出たことはないけれど、沙漠にはなんとなくあこがれがありましてね。沙漠の歌でもって気になったんです」と語っている。念頭に置かれていたのはアラビアの情景だったという。ただし、初出時に加藤自身が描いた挿画では、ラクダはアラビアのヒトコブラクダではなく、中央アジアのフタコブラクダになっていた。後年に加藤が描いた絵では、ヒトコブラクダに修正されている。
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