伝道者の接触と命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 14:02 UTC 版)
1871年、英国国教会の宣教師トーマス・ブリッジスとジョージ・ルイスは、ティエラ・デル・フエゴに伝道所を設立し、そこで二人は家族を養った。ブリッジズはケッペル島に住んでいた17歳のときからヤーガン語を学び、十数年の間に文法と単語3万語からなるヤーガン語―英語の辞書を編集した。 ブリッジズの次男ルーカス・ブリッジズもこの言語を学んでおり、そうしている数少ないヨーロッパ人の1人だ。その時代の歴史を記した1948年の著書の中では、外名もしくは自称はヤマナ (「人」を意味する。ただし、現代の用法では男性だけを指す言葉で女性には用いない。複数形はyamali(m))と記している。ヤーガン族(Yaghan。元来、正しくはYahganと綴る)という名前は、彼の父トーマス・ブリッジスが、彼らの領土であるYahgashagaまたはYahga海峡という地名をもとにして初めて使った。彼らは自らをYahgashagalumoala(「山と谷の海峡の人々」を意味する。-lumは「から」を意味する。-oalaは「人たち」の総称で、単数形はuaである)と称した。それは、トーマス・ブリッジスが最初にこの言語を学んだマレー海峡(Yahgashaga)周辺の住民の名前だった。Tekenika(スペイン語: Tequenica)という名前は、オステ島での言葉を音写して初めて付けられたもので、単に「わからない」(teki-「わかる」と-vnaka(v schwa)「うまくいかない」から)を意味し、誤解された質問への答えとして生まれたことが明らかである。
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