会談と起草
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:59 UTC 版)
ウクライナのドンバス地域で進行中の紛争を終結させようとする動きは2015年2月から何度もあったが解決の目処は立っていなかった。2014年9月5日に締結されたミンスク議定書は、何ヶ月ものあいだ紛争地での戦闘を著しく減少させたが、小競り合いは続いていた。 2015年1月初め、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の分離主義勢力がウクライナ政府の支配地域に対して新たな攻撃を開始し、結果としてミンスク議定書による停戦は完全に崩壊した。激しい戦闘の後、ドネツク軍は1月21日に、象徴として重要な拠点のドネツク国際空港を占領した。ここはウクライナ政府の支配下にあったドネツクの最後の拠点だった。この勝利に続き、分離主義勢力は1月下旬にデバリツェボにある鉄道と道路の重要な要衝を攻撃した(デバルツェボの戦い)。 この新しい戦いは国際社会に重大な懸念を引き起こした。フランス大統領フランソワ・オランドとドイツ首相アンゲラ・メルケルは2月7日に新たな和平の計画を発表した。ウクライナ大統領ペトロ・ポロシェンコとロシア大統領ウラジーミル・プーチンの会談の後に策定された、「フランコ・ドイツ案」はミンスク議定書の復活と見なされた。オランド大統領は、この案は紛争解決のための「最後のチャンス」であると述べた。なおこの計画は、ウクライナ政府への軍備の送付に関するアメリカの提案に応えて出された(メルケル首相はアメリカの提案を、事態の悪化を招くだけだとしていた)。 ベラルーシの首都ミンスクの独立宮殿で、「フランコ・ドイツ案」の実施を議論するために会談が2月11日に持たれた。ロシアのウラジミール・プーチン大統領、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領、 ドイツのアンジェラ・メルケル首相、フランスのフランソワ・オランド大統領、ドネツクの指導者のアレクサンドル・ザハルチェンコ、ルハーンシクの指導者のイゴール・プロトニツキーが出席した。交渉は16時間徹夜で続き、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイアー外相が「非常に難しい」と言わしめるほどだった。 会談の後、2月12日に紛争当事者が新しい和平のための一連の措置に合意したことが発表された。合意された措置の一部には、2月15日からのOSCEが監視する無条件の停戦、最前線からの重火器の撤退、捕虜の解放、ウクライナにおける憲法改正が含まれる。
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