企画成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:53 UTC 版)
「暴走パニック 大激突」の記事における「企画成立まで」の解説
1973年から始まった「仁義なき戦いシリーズ」は、"実録路線"という東映に新たな鉱脈を生み、1974年の『仁義なき戦い 完結篇』で一旦ピリオドが打たれたが、ドル箱シリーズを終わらせるには惜しいと考えた会社側の意向で「新仁義なき戦いシリーズ」という番外編に雪崩れ込む。前シリーズの焼き直しだった新シリーズ一作目『新仁義なき戦い』の後、新シリーズ二作目『新仁義なき戦い 組長の首』は、実録要素が0の完全なオリジナルストーリーであったため、そこで新機軸として投入されたのが、車で急襲するカーチェイス要素だった。執念がこもった白熱のアクション描写は当時の日本映画では珍しく大きな話題を呼んだ。すると数々の便乗企画を産み出した岡田茂東映社長が『新仁義なき戦い 組長の首』のカーアクションを観て、日本で1975年大ヒットしたアメリカ映画「『バニシングin60″』とミックスしてカーアクションで映画を作れ」と号令をかけた。岡田にはもう一つのヒット作がその目線上にあった。それは1975年夏の大ヒット『トラック野郎・御意見無用』。公開まで期待薄だった同作が、ド派手なデコトラのインパクトが大きな話題を呼んでヒットするや、岡田の頭に「車メインで押す企画もありではないか?」という考えが閃いた。続く千葉真一、岩城滉一出演、石井輝男監督の『爆発! 暴走族』のヒットと併せて、岡田に「車・バイクをメインにした作品はいける」という確信が溢れた。そこから結実した企画が、物量で押すカーアクションをメインとした本作である。深作は日本映画の土壌でハリウッドで作るようなカーアクションは不可能と判断し最初は反対していたが結局この企画を受けた。
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