代議士刺傷事件
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1986年(昭和61年)6月17日、良知総業幹部が埼玉県秩父市で代議士の糸山英太郎をナイフで刺す事件があった。ジャーナリスト・山平重樹によれば、事の発端は1985年(昭和60年)12月暮れ、新高輪プリンスホテルに開かれた糸山主催の選挙資金集めパーティー「新日本フォーラム」とそれに先立つパーティー券(1枚あたり3万円)の販売に絡んだものであった。 赤字経営からの立て直し時期に1000万円分の購入を強制された関西の一部上場大手建設会社が、人脈を辿り野村秋介に相談。それを受け、知人の会社社長を介して300枚のパーティー券を引き取った野村はパーティーを“潰す”ことを企図し、獄中時代の人脈を頼りに稲川会、住吉連合会、山口組などの暴力団員らに配布。そのうちの100枚が最終的に後藤組関係者に流れることとなった。暴力団員らが大挙して押し掛ける事態を予想した糸山は、警察を動員して阻止を目論むも失敗し、野村と親交のあった後藤組組長・後藤忠政と接触。糸山・野村・後藤の3者で帝国ホテルで面会し、示談を行うことになった。その場に後藤組傘下・良知総業組長の良知政志も同行していた。 後藤によれば、このときの糸山の態度が極めて尊大かつ傲慢なもので、ことあるごとに後ろ盾としての笹川良一の名をちらつかせ、かねてより笹川を嫌悪していた後藤と野村の怒りを増幅させる結果となった。さらに山平によれば、件のパーティー終了後、ある週刊誌の取材を受けた糸山は、翌86年3月発売の同誌上において、一連のパーティー券販売に関し、再び尊大な態度で“大見得”を切ったあげく「暴力団関係者から嫌がらせを受けた」旨の発言を行い、野村や後藤組関係者の怒りを買った。 そして6月17日、埼玉三区からの衆院選出馬に伴い、秩父市役所付近の市民会館で総決起大会を開いた糸山を、良知総業で舎弟頭を務めていた男が襲撃した。後藤は「オヤジ(良知)や組に赤い顔させた(恥をかかせた)」ことが(この襲撃犯の)犯行の動機であったのだとしている。
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