他レーベルとの交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 10:14 UTC 版)
「テレグラフ (レコードレーベル)」の記事における「他レーベルとの交流」の解説
東京ロッカーズの中心的存在として、「ミラーズ」を経て「チャンス・オペレーション」を結成したヒゴヒロシと交流があり、ヒゴのレーベル「ゴジラ・レコード」「ジープ・レコード」と共同リリースした作品もある。 1980年には音楽雑誌『DOLL』編集長の森脇美貴夫がインディーズレーベル「シティ・ロッカー・レコード (City Rocker Records) 」を設立し、その第1弾として同年10月に紅蜥蜴のLP『けしの華』をリリース、1982年3月にはリザードの『リザードIII』をリリースした。モモヨとのつながりで、シティ・ロッカー系とテレグラフ系の人脈は交流があった。 元々西荻窪に本拠を置いていたこともあり、ライブハウス「吉祥寺マイナー」の店主だった佐藤隆史とも交流を持ち、佐藤が1980年に立ち上げたレーベル「ピナコテカレコード」ともつながりがあった。 テレグラフの前身となった「ジャンク・コネクション」内のサブレーベルとして「アスピリン・レコード (Aspirin Records) 」が生まれたが、守屋正により1981年に独立し、ZELDAをはじめ、のち声優としても活躍する川喜多美子(当時はインディーズ界の南野陽子と称された)率いるD-DAY、タンゴ研究家の斎藤充正が女性ボーカルをフィーチャーしたCorina Corrinaとささらなど、女性ボーカルバンドの作品を多くリリースしていた。守屋により「アスピリン・レコード」は1984年に「バルコニー・レコード (Balcony Records)」へ発展し、D-DAYやコクシネルなど多数の作品を世に送り出した。
※この「他レーベルとの交流」の解説は、「テレグラフ (レコードレーベル)」の解説の一部です。
「他レーベルとの交流」を含む「テレグラフ (レコードレーベル)」の記事については、「テレグラフ (レコードレーベル)」の概要を参照ください。
- 他レーベルとの交流のページへのリンク