人脈・交友
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 20:20 UTC 版)
全逓信労働組合にて書記長を務めていたころ、第1次岸改造内閣の郵政大臣に田中角榮が任命され、田中の知遇を得た。大臣の田中は使用者側、労組幹部の大出は労働者側に立っていたため主張の隔たりも大きかった。郵政省に初登庁した田中は、庁舎玄関に掛かる労組の看板を取り外すよう指示し、大出ら労組幹部が抗議に訪れる騒ぎとなった。また、全逓信労働組合は特定郵便局の廃止を主張していたが、田中は特定郵便局二万局拡大構想を提唱し、特定郵便局のよりいっそうの拡大を主張していた。一方で、田中と労組は互いに「対立しながら認め合う関係」となっていった。郵政大臣在任中に政務担当の秘書官が亡くなると、田中は後任に大出を起用したいと考え、全逓信労働組合に申し入れている。政務担当の秘書官には政治家秘書が就任するのが一般的であり、所管省庁の労組幹部を起用するのは異例である。田中の申し入れについて、全逓信労働組合は承諾したものの、郵政省の幹部が「不当労働行為として問題になる」と指摘したため実現しなかった。後年、政治家となった大出は、ロッキード事件を巡り田中らを激しく追及することになった。 政治家となってからは、1986年から5年にわたり日本社会党国会対策委員長を務め、国会対策委員会での折衝を通じて与党・自民党に太いパイプを築き、この間に国対で築かれた人間関係が、後に自社さ連立政権を樹立するきっかけになった。
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