京都市立乾小学校とは? わかりやすく解説

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京都市立乾小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 08:39 UTC 版)

京都市立乾小学校
Inui elementary school
北緯35度0分21.5秒 東経135度44分50.4秒 / 北緯35.005972度 東経135.747333度 / 35.005972; 135.747333座標: 北緯35度0分21.5秒 東経135度44分50.4秒 / 北緯35.005972度 東経135.747333度 / 35.005972; 135.747333
過去の名称 下京第一番組小学校
乾尋常高等小学校
乾国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 明治2年(1869年)12月1日
創立者 下京第1番組
閉校年月日 平成4年(1992年)3月31日
共学・別学 男女共学
所在地 604-8804
京都市中京区壬生坊城町57-1
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立乾小学校(きょうとしりつ いぬいしょうがっこう)は京都市中京区にあった公立小学校

概要

明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成4年(1992年)に京都市立洛中小学校に統合され、閉校した。 校名は、この地がかつての下京[注釈 1]の北西(乾)の方角に位置したことにちなむ[1][2]

沿革

通学区域

乾小学校の通学区域は、元学区乾学区に一致していた[7]

関係者

乾学区

乾学区(いぬいがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる元乾小学校の通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。

乾学区の沿革

明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した下京第1番組に由来し、同年には、区域内に下京第1番組小学校が創立した。

下京第1番組は、明治5年(1872年)には下京第1区、明治12年(1879年)にはとなり下京第1組となった。設置された下京第1番組小学校は、明治9年に校名をに改称した[5]

下京第1組は、学区制度により明治25年(1892年)には下京第1学区となった[8]

昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、下京第1学区から乾学区となり、中京区に属した[7]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[9]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。

乾学区の通学区域

乾学区の小学校の通学区域は、現在学区全域が京都市立洛中小学校となっている。

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[10]、乾学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第6国勢統計区[注釈 2])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,872人、2,269世帯である。

地理

中京区の中央部に位置する学区であり、北側は教業学区、東側は本能学区、西側は朱雀第一学区、南側は郁文学区(下京区)に接する[2]。区域は、概ね北は三条通、南は四条通、東は堀川通、西は後院通に接し[1][11]、面積は0.224平方キロメートルである[注釈 3]

乾学区内の通り

乾学区の町名

  • 下八文字町
  • 岩上町
  • 宮本町
  • 松浦町
  • 三条猪熊町
  • 六角猪熊町
  • 下瓦町
  • 錦猪熊町
  • 下一文字町
  • 上黒門町
  • 下黒門町
  • 藤岡町
  • 三条大宮町
  • 六角大宮町
  • 四坊大宮町
  • 錦大宮町
  • 今新在家東町
  • 今新在家西町
  • 橋西町
  • 御供町
  • 上瓦町
  • 鍛冶屋町
  • 金屋町
  • 畳屋町
  • 因幡町
  • 吉野町
  • 七軒町

周辺

脚注

注釈

  1. ^ 中京区設置前の上京・下京は概ね三条通を境としており、乾学区は上京と接する下京の北西端に位置した。
  2. ^ 令和2年国勢調査時点
  3. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービス国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。

出典

  1. ^ a b c 語りつがれるわがまち「乾学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月25日アーカイブ分)
  2. ^ a b c d 素晴らしきわがまち「乾学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月17日アーカイブ分)
  3. ^ a b c d e f g h 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 70, 「京都市立乾小学校
  4. ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 69–70, 「中京区乾学区
  5. ^ a b c 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年9月5日閲覧。
  6. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 37, 「乾小学校」.
  7. ^ a b c 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 282–283, 「乾学区
  8. ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418https://dl.ndl.go.jp/pid/788418/1/171 
  9. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  10. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
  11. ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 16, 「乾学区」.

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク




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