京都市立乾小学校
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京都市立乾小学校 Inui elementary school |
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北緯35度0分21.5秒 東経135度44分50.4秒 / 北緯35.005972度 東経135.747333度座標: 北緯35度0分21.5秒 東経135度44分50.4秒 / 北緯35.005972度 東経135.747333度 | |
過去の名称 | 下京第一番組小学校 乾尋常高等小学校 乾国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 明治2年(1869年)12月1日 |
創立者 | 下京第1番組 |
閉校年月日 | 平成4年(1992年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒604-8804 京都市中京区壬生坊城町57-1 |
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京都市立乾小学校(きょうとしりつ いぬいしょうがっこう)は京都市中京区にあった公立小学校。
概要
明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成4年(1992年)に京都市立洛中小学校に統合され、閉校した。 校名は、この地がかつての下京[注釈 1]の北西(乾)の方角に位置したことにちなむ[1][2]。
沿革
- 1869年(明治2年)- 上黒門町に下京第一番組小学校として創設(開校日:明治2年12月1日(旧暦))[3][4]
- 1876年(明治9年)9月 - 校名を乾に改称[3][5]
- 1904年(明治36年)
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、乾国民学校に改称[3]
- 1947年(昭和22年)4月- 学制改革により京都市立乾小学校となる[3]
- 1956年(昭和31年)10月- 全国健康優良学校特選受賞[3][6]
- 1992年(平成4年)- 教業小学校と洛中小学校に統合され、閉校[2]
通学区域
関係者
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乾学区
乾学区(いぬいがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる元乾小学校の通学区域と合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
乾学区の沿革
明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した下京第1番組に由来し、同年には、区域内に下京第1番組小学校が創立した。
下京第1番組は、明治5年(1872年)には下京第1区、明治12年(1879年)には区が組となり下京第1組となった。設置された下京第1番組小学校は、明治9年に校名を乾に改称した[5]。
下京第1組は、学区制度により明治25年(1892年)には下京第1学区となった[8]。
昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、下京第1学区から乾学区となり、中京区に属した[7]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[9]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
乾学区の通学区域
乾学区の小学校の通学区域は、現在学区全域が京都市立洛中小学校となっている。
人口・世帯数
京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[10]、乾学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第6国勢統計区[注釈 2])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,872人、2,269世帯である。
地理
中京区の中央部に位置する学区であり、北側は教業学区、東側は本能学区、西側は朱雀第一学区、南側は郁文学区(下京区)に接する[2]。区域は、概ね北は三条通、南は四条通、東は堀川通、西は後院通に接し[1][11]、面積は0.224平方キロメートルである[注釈 3]。
乾学区内の通り
乾学区の町名
- 下八文字町
- 岩上町
- 宮本町
- 松浦町
- 三条猪熊町
- 六角猪熊町
- 下瓦町
- 錦猪熊町
- 下一文字町
- 上黒門町
- 下黒門町
- 藤岡町
- 三条大宮町
- 六角大宮町
- 四坊大宮町
- 錦大宮町
- 今新在家東町
- 今新在家西町
- 橋西町
- 御供町
- 上瓦町
- 鍛冶屋町
- 金屋町
- 畳屋町
- 因幡町
- 吉野町
- 七軒町
周辺
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脚注
注釈
出典
- ^ a b c 語りつがれるわがまち「乾学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月25日アーカイブ分)
- ^ a b c d 素晴らしきわがまち「乾学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月17日アーカイブ分)
- ^ a b c d e f g h 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 70, 「京都市立乾小学校」
- ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 69–70, 「中京区乾学区」
- ^ a b c “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年9月5日閲覧。
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 37, 「乾小学校」.
- ^ a b c 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』 (1985), pp. 282–283, 「乾学区」
- ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 16, 「乾学区」.
参考文献
- 『史料京都の歴史 第9巻 (中京区)』平凡社、1985年。doi:10.11501/9575674。ISBN 9784582477092。
- 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637。
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
- 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年 。2025年9月5日閲覧。
- “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年9月5日閲覧。
関連文献
- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。 ISBN 4-582-49027-1。
- 「下京第一学区之部(碓井小三郎『京都坊目誌 下京之部 乾』(1915))」『京都叢書:新修 第16巻』光彩社、1968年、45-63頁。doi:10.11501/2997393 。
関連項目
外部リンク
- 素晴らしきわがまち「乾学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月17日アーカイブ分)
- 語りつがれるわがまち「乾学区」 - ウェイバックマシン(2024年2月25日アーカイブ分)
- 学校変遷図|京都市学校歴史博物館
- 京都市地域統計要覧ウェブサービス
- 京都市教育委員会事務局:京都市立小・中・小中学校の通学区域
- 京都市立乾小学校のページへのリンク