交通神社とは? わかりやすく解説

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交通神社

読み方:コウツウジンジャ(koutsuujinja)

正称 須賀神社

教団 神社本庁

所在 京都府京都市左京区

祭神 須佐之男神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

須賀神社 (京都市)

(交通神社 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/01 18:31 UTC 版)

須賀神社・交通神社

拝殿
所在地 京都府京都市左京区聖護院円頓美町1
位置 北緯35度1分6.2秒 東経135度46分54秒 / 北緯35.018389度 東経135.78167度 / 35.018389; 135.78167 (須賀神社 (京都市))座標: 北緯35度1分6.2秒 東経135度46分54秒 / 北緯35.018389度 東経135.78167度 / 35.018389; 135.78167 (須賀神社 (京都市))
主祭神 須賀神社:素戔嗚尊櫛稲田比売命
交通神社:久那斗神八衢比古神八衢比売神
創建 須賀神社:康治元年(1142年
交通神社:1964年昭和39年)
別名 西天王社
例祭 5月10日
地図
須賀神社・交通神社
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須賀神社・交通神社(すがじんじゃ・こうつうじんじゃ)は、京都市左京区聖護院円頓美町にある神社

歴史

京都市左京区吉田神楽岡町吉田神社境内図

平安時代末の康治元年(1142年美福門院の建てた歓喜光院の鎮守社として創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊櫛稲田比売命を主神に、久那斗神八衢比古神八衢比売神を加え、五柱を祀っていた。

もとの社地は平安神宮蒼竜楼の東北にある西天王塚辺りで、当社は岡崎東天王社と相対して古くは西天王社と呼ばれた。その後、吉田神楽岡(現在の京都市左京区吉田神楽岡町、山蔭神社辺り、地図参照[1])に転じ、現在の地に移ったのは1924年大正13年)の事である。

1964年昭和39年)に久那斗神八衢比古神八衢比売神を分祀し、この三柱を主祭神として日本で唯一の交通神社を創建する。

2005年平成17年)には本殿と拝殿を焼失するが、すぐに復興する。その際、同一の本殿ながら内部の左側を須賀神社、右側を交通神社とする作りとした。

聖護院一帯の産土神とされ、縁結び、厄除け、交通安全の神として崇敬厚く、節分祭には参詣者で賑わう[2]。近世に編纂された「拾遺都名所図会」によると、祭神は牛頭天王、例祭は6月16日である[3]。なお宝暦8年(1758年)、筑前国福岡城三の丸に勧請された西天王社は、「西天皇社」とも表記される[4][5]

祭神

境内

  • 本殿(左殿:須賀神社、右殿:交通神社)
  • 白龍大明神・稲荷大明神
  • 社務所

脚注

  1. ^ 鈴鹿隆男『吉田探訪誌/平安京を彩る神と仏の里』(ナカニシヤ出版、2000年)p.191
  2. ^ 京都市案内板
  3. ^ 国際日本文化センターHP 平安京都名所図会データベース
  4. ^ 広渡正利ほか校訂『筑前町村書上帳』(文献出版、1992年)pp.84,92。
  5. ^ 広渡正利ほか校訂『筑前国続風土記拾遺』(文献出版、1993年)上p.200。


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