五輪・世界選手権における日本チームの入賞歴
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日本が同種目に初参加したのは1928年アムステルダムオリンピックからで、続くロサンゼルス、ベルリンと戦前において3大会連続で参加した。中でも1932年ロサンゼルスオリンピックでは決勝進出を果たし、アジア勢初の5位入賞を果たした。戦後の1956年メルボルンオリンピックで20年ぶりに競技に復帰したが、その後は苦戦が続き、1968年メキシコシティーオリンピック終了後は暫く代表チームの派遣されなかった。ちなみにメキシコシティーオリンピックの日本代表は、短距離走の選手は飯島秀雄のみで、残り3名(阿部直紀、小倉新司、山田宏臣)が走幅跳の選手で構成されるという珍しいチーム編成であった。 1988年ソウルオリンピックから競技に復帰する。青木半治の「どんなに弱くても、リレーはオリンピックに連れて行くべきだ。リレーが基本なのだから」との考えから、20年間に渡って派遣されていなかった日本代表を派遣させた。続く1992年バルセロナオリンピックでは戦後60年ぶりの決勝進出を果たし、戦後初の6位入賞を果たす。以後個々の走力のハンデを緻密なバトンパスで補う日本のリレーはオリンピックや世界選手権で入賞を重ね、今日の日本代表の活躍につながった。
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