五色旗 (中華民国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 05:38 UTC 版)
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用途及び属性 | ![]() ![]() |
縦横比 | 5:8 |
制定日 | 1912年1月10日 |
廃止日 | 1928年12月29日 |
使用色 | 紅、黄、藍、白、黒 |
五色旗(ごしき、ごしょき)は中華民国建国初期の南京臨時政府と北洋政府が採用した国旗である。デザインは上から順に赤、黄、青、白、黒五色の帯であり[1]、比率は5:8である[2]。
この五色は五方色から由来し、五行思想にも順応する。五色は漢、満、蒙、回、藏の五族共和思想も象徴する[2]。五色旗は最初、1906年に提案され[3]、設計者は趙鳳昌である[4]。辛亥革命時、江蘇省、浙江省、安徽省をはじめとした華東地域は五色旗を多用した[5]。
しかし、孫文は五色旗を清朝の遺物と見なし、国旗として採用することに消極的だった[6]。中国国民党が北伐で政権を奪取した以降、五色旗の国旗としての地位は「青天白日満地紅旗」に取って代わられた[7]。
満州国をはじめ、日中戦争期の多くの傀儡政権は五色旗やこれを基にした独自の旗を政権の国旗として採用した。中華民国が五族共和を象徴する一方、蒙古自治邦は民族協和の標語を基に、それぞれの色に主要な民族の意味が当てられている[8]。
関連項目
出典
- ^ “存档副本”. 2014年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月3日閲覧。
- ^ a b 国旗体操. 商务印书馆. (1922年) 2023年7月3日閲覧. "“其片幅之修廣,以五與八之比。即一幅之闊,八倍其長,如法製成,方為合度。”"
- ^ “上海致公”. 2020年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月25日閲覧。
- ^ “民國五色旗出自趙鳳昌之手 一度被孫中山擱置”. 南京日報. 2020年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月30日閲覧。
- ^ 谷锺秀,《中华民国开国史》, 泰东图书局 1917年
- ^ 孙中山与中华民国国旗,《文史月刊》杂志 2009年第9期
- ^ “1928年12月29日 东三省改旗易帜,人民网”. 2020年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月5日閲覧。
- ^ 「https://dl.ndl.go.jp/pid/1449890/1/356 新支那現勢要覧 第2回(昭和15年版)」国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年4月1日
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