事業法人斎藤株式会社、財団法人斎藤報恩会の設立
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「斎藤善右衛門 (9代)」の記事における「事業法人斎藤株式会社、財団法人斎藤報恩会の設立」の解説
明治40年代には銀行の台頭により貸金業が停滞したため、1909年(明治42年)12月三井合名会社・安田銀行の事例を参考に斎藤株式会社を設立し、都市貨幣市場に進出した。明治40年代は鉱業・電気事業に投資し、1913年(大正2年)神奈川県の開発地を取得した。 1914年(大正3年)樺太での漁業権等を取得し、斎藤会社漁業部・回漕部・汽船部として海馬島・留萌での北洋漁業等の経営を試みたが、1919年(大正8年)日魯漁業に売却した。大正末年には鉱業権の保有に転換し、石炭部・松原炭販売部で茨城無煙炭鉱・松原炭鉱の経営も試みた。 1919年(大正8年)5月宮城県図書館博物標本陳列室の標本購入基金1万円を寄付し、11月11日紺綬褒章を受章した。1921年(大正10年)根津嘉一郎の武蔵高等学校創立に感銘を受け、6月8日肝煎宮島清次郎に相談し、10月300万円で財団法人斎藤報恩会を創立し、理事長となった。 1923年(大正12年)鹿又村を中心に小作争議が起きると、1924年(大正13年)12月信託法・信託業法に基づき仙台信託株式会社を創立して取締役社長となり、田畑を信託して対抗した。
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