事件の背景と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 09:52 UTC 版)
大正末年から昭和初期にかけての政党政治は、立憲政友会と憲政会の二大政党の交代による疑獄事件の顕在化をもたらした。本事件をはじめ、1926年(大正15年・昭和元年)の松島遊郭疑獄、陸軍機密費横領問題、1929年(昭和4年)の朝鮮総督府疑獄事件、売勲事件、五私鉄疑獄事件などがそれである。その後、1934年(昭和9年)に起こった帝人事件は「挙国一致」を謳った齋藤内閣を崩壊させるに至ったが、事件そのものは「空中楼閣」と称され、関係者全員に無罪判決が下った。 満鉄疑獄事件が明るみに出た年(1921年)の11月4日夜、現職の内閣総理大臣である原敬が東京駅頭において、大塚駅の転轍手であった18歳の中岡青年に暗殺される事件が起こった(原敬暗殺事件)。犯人はその場で取り押さえられたが、第四十四議会で政治問題化した本事件やアヘン事件など立憲政友会がらみの疑獄事件に憤ってのことであった。
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