満鉄疑獄事件とは? わかりやすく解説

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満鉄疑獄事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 07:10 UTC 版)

満鉄疑獄事件(まんてつぎごくじけん)または満鉄事件(まんてつじけん)は、1921年大正10年)に表面化した疑獄事件。1920年(大正9年)5月、満鉄(南満洲鉄道)副社長であった中西清一が満洲で森恪が役員を務める塔連炭鉱、内田信也の汽船、日本電気化学工業という企業買収するにあたって、不当に高い買収金によって立憲政友会の政治資金を捻出したとして、野党憲政会が追及し、帝国議会で問題となった[1]塔連炭鉱事件(とうれんたんこうじけん)とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ 塔連炭鉱は、1908年に日中民間の共同経営で採掘を開始したが、小規模で利益が少ないとして、1916年頃から満鉄に対する売り込みが始まっており、売主は2万5,000円ではどうかと持ちかけたが、満鉄側はこのとき相手にしなかったという[3]。ところが、政友会の森らが資本金100万円の東洋炭鉱株式会社を設立し、会社ごと満鉄に売却することを画策した[3]。塔連炭鉱は、専門家の調査によっても40万円がいいところといわれ、なおかつ、その買収には中国側の法律的な同意がない限り、所有権移転は不可能とされた[3]
  2. ^ 犯人の中岡艮一は、国粋主義者の朝日平吾がこの年の9月28日安田財閥の創始者である安田善次郎を暗殺した事件に刺激を受け、原の暗殺を考えるようになったという[1]
  3. ^ アヘン事件とは、原とは司法省法学校時代の同期生で内閣拓殖局長官の古賀廉造らが、関東州において没収した大量のアヘンを特売人に払い下げ、それを中華民国領土内に密輸させて多額の利益を得た事件[1]。古賀は長官を辞任し、有罪判決を受けた[1]

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