乾家の松
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 01:04 UTC 版)
当時乾家の屋敷は、北西が家老の屋敷に向かい合い、その向こうには高知城天守閣を臨むことができた。 ある時、家老は、吸江湾の眺めを一望できるよう2階建ての楼閣を立てたが、たまたま乾家の隅に老いた松の大木があって、眺めを遮っていたため、家老は乾家に使者を出して枝の剪定を依頼した。 正聰は「仰せの次第、御尤(ごもっと)もに存ず。彼の松は、平素、拙者(それがし)の愛撫する処なれど、老職たつての思召ゆへ、早々に御意仕(ぎょいつかまつ)らむ」と答えたので、使者は喜んで帰参した。翌日、正聰は直ちに人を雇って松を根幹より切り倒した。家老はこれを聞き、「正聰の平生の頑固さから考えると、(日ごろ愛撫しているという)松の枝を切る事を承諾することさえ不可思議であるのに、なんと根元から切り倒してしまったというではないか。何か魂胆が無ければよいが」と内心恐怖に慄いた。 はたして数日後、正聰の使者が家老の屋敷にきて、「拙者(正聰)は、朝夕天守閣を遥拝し、緩急の際、武芸奉公を怠らぬよう銃身・剣戟の試練を心懸けし処、近頃、老職が楼閣を建てて眺望を塞いでしまった。このままでは、武芸鍛錬の遮りとなり、殿への至誠を欠くことになりかねないので、申し訳ないが先日、老職の申し出に、拙者がすぐさま順ったのと引き換えに、邪魔な楼閣を壊してくれないでしょうか」と言った。家老は驚愕し、「これは、一本取られた」と言って終に楼閣を自ら破却したという逸話がある。
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