乱の経緯とは? わかりやすく解説

乱の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 16:22 UTC 版)

土岐康行の乱」の記事における「乱の経緯」の解説

嘉慶元年1387年)頼康が70歳高齢死去土岐氏惣領養子の康行が継いだ。康行は従兄弟の詮直を尾張守護代とし、弟の満貞を京都代官として義満近侍させた。 将軍専制権力確立目指す義満統制困難だった有力守護大名弱体化狙っていた。嘉慶2年1388年義満美濃国伊勢国守護職継承のみを康行に許し尾張国は満貞に与えてしまった。満貞は野心家尾張守護職を欲して度々義満へ康行と詮直の讒言をしていた。義満はこの兄弟不和利用して土岐氏分裂図ったのである。 これに激怒したのが尾張守護代の詮直で、満貞は尾張国下向するがこれを拒んで尾張国黒田宿合戦になり、満貞は敗れて敗走した。京へ逃げ帰った満貞は康行と詮直の謀叛訴えた義満はこの機を逃さず康応元年1389年4月に康行を謀反人断じて討伐命じ土岐氏一族土岐頼忠・頼益父子征討向かった。翌明徳元年1390年)閏3月に康行は美濃国池田郡小島城岐阜県揖斐川町)で挙兵するが敗れて没落した

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