九州国防訓練場
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現在の福岡県道502号玄海田島福間線が通る真光寺北側一帯(後の宮司・津屋崎・在自地域)の113ヘクタールほどのエリアは九州国防訓練場が存在する松林だった。 1942年(昭和17年)の暮れ、ガダルカナル島の戦いにより戦局が厳しくなった情勢下で新聞社が「九州の青少年を集め、高射砲、落下傘、グライダー、戦車、機動船などの軍事訓練をさせて戦力にしよう」と社告を行った。これにより一般から募金300万円、津屋崎町からの寄付20万円などが集まり、用地買収・整地・設備建設(兵舎2棟・炊事場・浴場など)が行われた。また、当時の三菱財閥でもこの国防訓練場の建設に関する寄付が議題に上ったとの記録も残っている。1944年(昭和19年)12月に国防訓練場は開場し、地元を始め各地の青少年約3000人が訓練に参加し、落下傘部隊降下演習などが実施された。 しかしながら、戦局が悪化したことで1945年(昭和20年)4月、陸軍の希望で献納され、本土決戦に備える陸軍の秘匿飛行場に転換された。
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