九州・その他遠地津波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 21:12 UTC 版)
「安政東海地震」の記事における「九州・その他遠地津波」の解説
豊後の佐伯でも四日朝に軽い地震があり潮が不穏な動きをし、手付見廻方らが警戒しているところに翌日、南海地震が起こり、それに伴う津波が市中の川に流れ込んだ。佐伯では宝永津波被害が酷かったことから、万が一大地震・大津波が発生した場合は大手門を開き、家来や市民らを避難させるよう備えていた(『御用日記』)。 小笠原諸島でも津波襲来の記録があり、父島奥村で5mに達し家屋が流失し、大村でも3mと推定される。サンフランシスコにも達し、験潮場において1フィート (30 cm) の津波が観測された。 『大日本地震史料』によれば地震および津波の被害は家屋の倒壊流出8,300余、消失600、圧死300人、流死300人とされる。しかしこれは地震の規模に対し小さ過ぎるとされ、潰家、焼失家は3万軒、死者は2 - 3千人とする説もある。
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