九州の歌である
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
万葉集の古い歌の殆どは九州で詠まれたものである。 7世紀以前の畿内ヤマトでは文字が普及しておらず、歌などの記録の保存が難しかったと考えられる。 太宰府(九州倭国)の花は梅、畿内日本の花は桜や菊である、万葉集では梅118首、桜40首が詠まれ、菊は1首も詠まれていない。 万葉集では北朝で使われた「紅葉」ではなく九州倭国が朝貢した南朝で使われた「黄葉」が多く使われている。 古代の河内地域には、巨大な河内湖(草香江)があり雄大な景色が広かってたと考えられるが、7世紀頃には陸化により消滅したといわれている。河内湖は瀬戸内海から大和への通り道であり古代人は頻繁にこれを通ったと考えられ、これを観たり通った古代人が歌を詠まないはずが無いが、万葉集にはこの雄大な河内湖そのものを詠んだ歌や船で河内湖を行く歌が存在しない。 万葉集には「白村江の戦」に関する歌が無い。「白村江の戦」は九州倭国が主体として戦ったものであることを隠すために残されなったものである。
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