九州の浪曲師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 22:47 UTC 版)
九州出身で九州色が強い大看板の浪曲師の一覧になる。切り節、祭文と呼ばれていた土壌があり、雲右衛門の後(美当一調の後)に九州出身の浪曲師は多い。中京地区と同じく、彼らは関西や関東に更なる活躍の場を求めて移っていった。地回りの浪曲師が九州には特に多く、興浪会結成の基盤にもなった。 (* 美当一調) 京山華千代 - 義姉の初代春野百合子とともに九州出身。戦前は大阪、戦後は東京で活躍。 桃中軒牛右衛門(宮崎滔天) - 人気が先立ち、浪花節としてはうまいものではなかったという定評が残っている。 桃中軒雲右衛門初代桃中軒雲右衛門 - 浪曲界の中興の祖。 初代天光軒満月 - 九州で長年巡業していたが、大阪天満・国光席に出て、そこから大看板となる。哀調が特徴。 天中軒雲月初代天中軒雲月 - 天才少年浪曲師 四代目天中軒雲月 - 初代の弟子。男性的な芸風。 天中軒雲衛 - のちの敏腕興行師永田貞雄。天下一のハッタリとそれを納得させてしまう内容を両立させ、名を轟かす。愛国浪曲から戦後の浪曲界に深く関わっている。力道山の日本プロレスも。 酒井雲 - 文芸浪曲を始める。村田英雄の師匠であった。熊本→岐阜在 酒井雲坊 - 村田英雄の浪曲師時代の芸名。出身地・九州で人気を博した。後に古賀政男にスカウトされ歌謡界へ。
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