中越地震とそれ以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 02:43 UTC 版)
2004年10月23日、新潟県魚沼丘陵へ新潟県中越地震が襲い、ミティラー美術館に対し大きな打撃を与えた。美術館の復興が誰の目からも絶望視される中、長谷川時夫の大型車両、重機を操る高い能力と、普段、野球のバッティングマシンで訓練した、相当な腕力による、建設作業の巧みさにより、美術館は奇跡的に蘇った。特に老朽化した小学校の土台と、2階建の大きな建物全体の接合位置がズレたのを、自前で重機だけで、辛くも元通りにさせられたのと、2005年の大雪の中、配管が破損し、上水が全地域で止まったのを、人力で、力任せに雪を排除し、配管を全て手当てし、奇跡的に復旧できたのが、展示品の修復にも増して美術館の、その後の運命を分けたのであった。 2008年末、それまで永らく休止していた、東洋の音楽家としての自分の活動の再開を思い立つ。エスノ・コスモ・プラニングという、インド等の民芸品グッズの、ネット販売組織の設立の記念を名目に、2009年春、自分のコンサート活動を展開した。
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